幣舞公園(ぬさまいこうえん)と松浦武四郎
ご近所にある公園なのですが、さりげなく銅像や歌碑があるので、ちょっと調べてみました。
北海道釧路にある幣舞公園は、海が見える高台にあってロケーション抜群です。
いつ来ても、人がほとんどいないことが多く、ひっそりとしているのも魅力です。
滑り台、ブランコ、砂場と、定番の遊具が並んでいる一方で、
地元歌人の歌碑、彫刻と花壇、松浦武四郎の銅像が配置されています。
夕日の中の船の光景を歌った俳句??
花壇には、ちょっと前まではチューリップが植えられていました。
説明文には、「釧路」の名付け親でもある松浦武四郎の功績を讃えて、阿寒国立公園観光協会が1958年に像を建てたと書いてあります。
松浦武四郎(まつうらたけしろう)は、言わずと知れた「北海道」を命名した幕末の冒険家です。
記念碑は道内のいたるところにあります。
ウィキペディアによると、松浦武四郎は幕末、現在の三重県松坂市の裕福な庄屋の家に生まれ、生涯冒険を好んだそうですね。
絵も上手で、初めて見る動物やアイヌの人達を克明に描いています。
武四郎が刊行した『蝦夷漫画』については、こちらのサイトに出ています。
また、アイヌの文化を伝えると共に、アイヌの人達に対して和人が行った極悪非道を告発したそうです。
それについては、こちらのサイトに詳しく書いてあります。
当時の和人の非人道行為は、本当にひどいので、お読みになる場合は心の準備が必要です。
今の価値観からするととんでもない迫害ですが、当時の和人から見たら、アイヌ民族は異形の人達に見えたでしょうし、言葉も通じなかったので、奪い放題という間違った判断をしてしまったのでしょう。
武四郎が偉いのは、独自の考えでアイヌの人達と接し、仲良くなって文化を伝えるまでしたこと。
その考えの基準が、当時のお上から言い渡されたものではなく、現代人から見てもリベラルで真っ当なものであることです。
松浦武四郎が北海道の地図を作っていなかったら、すんなり日本の領土にはならなかったのかもしれませんよね。
そう考えると、日本と北海道にとってすごい恩人です。
北海道民を代表して、訪れるたび、銅像にお礼を言っておきますね。